熊野古道
第1章、第2章では、熊野古道の歴史、
不安、悩みの時代に救いや解決法を求めて参詣や巡礼に行くのは歴史を通じて見られる現象である。熊野参詣は中世において、法王や貴族階級により、熱心に行なわれていた。当時の交通手段としては、歩くか駕籠にのるかであり、京都から和泉か伊勢経由で紀伊に入り、険しい山道や峠を越え、粗末な宿や民家に泊まりながら二週間以上かけて本宮、新宮、那智に参詣した。しかも参詣は一度や二度では終わらず、上皇や法皇が数回から十回、鳥羽上皇に至っては生涯の間に二十一回に及んだというのは、極めて強い動機がその背後に存在したはずである。当然貴族でも何度も参詣する熱心な信者も存在したはずであり、残された日記や記録から参詣ルートの変遷、途中の交通手段、それを支えるシステムを詳述している。上皇!!や法皇が参詣による存在感をしめすことによって権力を維持し、かつ自らの現世と来世のご利益を願った行為の背景には、当時の強い浄土信仰があった。これが民衆にも波及して「蟻の熊野まいり」となり、お伊勢参りに主役が交代するまで熱心に行なわれた。堅い内容であるが、熊野信仰興隆の背景を要領よく纏めている。 |
このページの情報は 2006年6月23日0時32分 時点のものです。 |





